生 死

失うことは、辛く、悲しい。

 

死は何かを奪う?

死は何を奪うのか。

 

死は命の限界。

限界だとしたら、それは見えないもの。

であれば、生きている間は死なない。

 

死後は認知できないから、人は死なない。

 

でも、人は死ぬ。

死を迎えた人は、害は受けないのか?

何も失わないのか?

つきまとう違和感。

 

やっぱり、死は何か奪う。

奪うから、死は剥奪の害という。

持っていけるものは何一つない。

 

じゃあ、何を奪うのか。

自由?お金?大切な仲間?

違う。多分そういう類のものとは違う。

関心や利害のあるなしに関わらず、無差別に奪う。

 

可能性は消える。

 

可能性は無限。

生きていれば選択肢はたくさんある。

実現させたいのは一部にしても、

大部分は意識してない可能性にしても、

可能性があるから生きる。

 

可能性って何だろう?

 

暖かい家庭を築くとか海外に住むとか

理想の働き方をするとか長生きするとかって素敵な可能性。

反対に、

犯罪を犯したいとか、事故に遭いたいとかって素敵じゃない可能性もある。

 

関心を持たない可能性の剥奪は害にはおよばない。

 

何が害なんだろうね。

 

多分重要なのは一部の可能性。

成功の見込みのある方向の示唆。

可能性が実現してほしいと切に願う欲。

でも、叶えるために、大抵時間が必要。

瞬間ではなく、継続的に。

そしてこれらは未来にあるもの。

現在を越えた先にあるもの。

 

失うものとは、つまり。

 

持っているが、未だ持っていないもの。

 

未来

 

殺人や、自殺はなぜいけないのか。

未来を奪うから。

 

 

生きるとは、

未来があること。

 

未来があるから、生きていける。

生きていけるから、未来がある。