最悪を楽しむ
人間生きていたら、最悪なこともあるじゃないですか。
想像しうるドンダケ幸せそうな人だって、そう。
ずっと都合のいい事実ばかりの人生なわけじゃない。
例えば、
道端でうんこふんじゃったとか、
会社で上司に怒られたとか、
道端でうんこふんじゃったとか。
誰だってある!!そんなの!!当たり前!!!
でも、そんな最悪が起こってもさ、
悲しみにひきづられず、未来に向かえる
幸せそうな人っているんだ。
なぜだろう?
例えるなら、
ぼくらって人生という
遡行しない放たれた矢の中で生きていて、
生きるのって、今この瞬間だけなわけで。
過去に起こった〇〇したと言う事実は、永遠に覆らないんだ。
良くも悪くも。
うん。
うんちを、ふんだ事実は変わらないんだ…。
その証拠にあなたの靴の裏には
うんこがべっとりついている。
でもね。
たった1つだけ変えられるものがある。
それは
認識。
つまり、
うんこふんじゃった!(事実)💩
ばっちぃ!さいあく!(認識)
を
うんこふんじゃった!(事実)💩
これ、ピンポイントで踏む?
逆にすごくね?ラッキーかも?
わっしょいだぜ!!(認識)
と思ってみたら、
ちょっとはマシではないだろうか?
ということ。
幸せな人は、
この超未来的、自己中ご都合主義解釈が
べらぼうにウマイ。
過去は変えられん。
ぐちぐち言ってても仕方ないんだ。
最悪なことはだれでも、起こること。
隣のにこにこしてるハッピーマンも、
多少の悲しいことは起こる。
事実と認識を、ごちゃごちゃにしない。
変えられるのは、認識。
他人や、過去は変えられないけど、
自分と、未来は変えられるっていうありふれた話。
ならば、
変えられるものは自分勝手に変えてやれ!
あなたは事実の世界に生きてるんじゃない。
認識の世界に生きてるんだ!
自分の好きなストーリーを描けるんだっ!!!
「べちょ。」
あ、うんち踏んだ。
「くそ!!!」
終わり。